・156ってのはそもそも何なのか
まず、156というクルマはどんなクルマなのだろうか?
一般的な自動車雑誌に記事では「スポーツセダン」なる表現で書かれていることが多いように思う。セダンではなく、スポーツセダン。この「スポーツ」という言葉に対する意味を考察するよりも、「セダン」ではないことにまず注目したい。
セダンとは何だろうか。エンジン、室内、トランクの3つの部位にわかれた3BOXの構造。エンジンからの熱・音・振動を室内から遮断し、荷物そのものはトランクへ、また後方からの音・振動を車内から遮断する。車体剛性も十分に強くできる。室内空間は広く、座っている時の体勢にも無理がない。結果、他のどんな形状のクルマより乗員は快適に過ごすことができる。
これがセダンの理想。具体的にはセルシオやベンツSクラス。
少なくとも、この条件を156は十分に満たしていない。音・振は結構な割合で乗員に伝わり、後席に至っては座面は薄く足下狭く頭上は狭い。エアコンも今ひとつ効きが悪い。
結果、156はセダンの形をしてドアも4枚付いているが、世の中のセダンと比べればレベルは非常に低い。誰が何と言おうと低い。強いて言えば、ドライビングポジションは各種調整機能のおかげで快適なポジションがそれなりに取れるぐらいか。
「スポーツ」の部分にも考察してみよう。
スポーツカーとは何か。運動性能の為に全てを犠牲にしたクルマ。加速・減速・旋回、コントール性を求め車重を落とす。無駄なものは削り落とす。イメージではロータス・エリーゼ。
少なくとも、156はそういったスポーツカーでもない。どちらかといえばポルシェやフェラーリといった高出力と快適性を両立させようとしているGTカーに近いものがあるが、やはりこの2社のクルマのレベルにも到底到達していない。
セダンでもない。スポーツでもない。結局のところ、何か。
私が思うに、結局どちらにも属することのできない中途半端なクルマだと思う。セダンに使うには今ひとつ快適でなく、スポーツカーっぽく味付けはされているが本物には及ばない。
156を定義付けるには別のカテゴリーを考えないといけない。
156とは、何か。
私は、「見た目が全て」のクルマだと考えている。
見る者の気持ちを高揚させ、所有欲を駆り立てる。美しい、カッコイイと感じさせるデザインのために、セダンとしての機能は意識的に取り払われている。しかしながらパッケージがセダンのままなので、スポーツっぽく味付けして商品価値を高めようとしている。
イタリアで標準的に乗られている仕様を考えてみる。1.9Lのディーゼルエンジン、柔らかめのサスペンション、185/65R15の乗り心地重視のタイヤ。これらがそろえば、十分平均的なセダンとして通用できる。そして、見た目。人間、どうしても見た目は気になる。ダサイ物よりカッコイイ物。それに実用性が伴っていればなお良い。
かくして、ヨーロッパ圏では売れたのだ。売れたと言っても今までが売れ無さすぎだったのであって、多くの競合他社のクルマとは総合的に見れば負けている。
改めて結論づける。
156とは、見た目が全てのクルマである。
振り返って考えれば、私が購入した動機も「見た目」がほぼ全てであった。
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