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2002 WorldCup 祭りの最後 (6/30)
長いようで短い、でもやっぱり長かった1ヶ月が終わろうとしている。
チケットを入手できなかったのでテレビを見る。当然スカパー。試合開始にはまだ2時間もあるが、閉会セレモニーやこれまでの総括、競技場周辺の様子などを見つつ試合が始まるのを待つ。
ひたすら陽気なブラジル、鹿島の時と同様にいるんだかいないんだか判らないドイツ。決勝でも予選でも、彼らの国の本質は変わらない。

とにかく多人数のイングランド、負けずに多人数で陽気なアイルランド、旅行がてらのイタリア、熱意のこもったアルゼンチン、スウェーデン、メキシコ、ベルギー、その他もろもろの参加国に加えて世界各国の旅行者、日本に居住しているあらゆる外国籍の人たち。
この1ヶ月、日本のあちこちでこれまでの日常では見られないくらいの非日常が現れていたが、それも次第に無くなって行き、とうとう今日の横浜で最後となる。

この試合について経過を記述していくのは野暮だろう。とにかくブラジルが勝利し、ドイツではなく、カーンが負けた。

試合終了後の表彰式の時、競技場の屋根から折鶴が降ってくる。この日のために折られた、大量の折鶴。もっと感動のシーンかと思っていたが、嗚呼、テレビ画面では小さくて良く見えない。
観戦した人のレポートによると、非常に感動したということであるから、これは実際に現地で観戦した人への特別な贈り物だったのだろう。

ということで、祭りは終わってしまった。
遅くとも明日のうちには日本中がこれまで通り日常の姿へと戻るだろう。観戦客はもちろん、通常の旅行客もしばらくは少なくなるであろう。都庁周辺でよく見かけた、緑色の服を着た老夫婦などは1ヶ月前同様にいなくなってしまい、台湾・中国・韓国などなど、アジア各国からの旅行者が目立つようになるだろう。

今回の大会は、日本で行われた。日本以外の国であれば、その国へ旅する時点でそれは非日常となる。しかし今回は日常のそばに非日常が発生した。
最初は異分子であった非日常が次第に日常の世界を侵食し、そして非日常は日常の中に溶け込むことに成功し、1ヶ月後には日常における一つの事象とまでなった。これまで無かった現象が、一つの文化として生活の中に溶け込んだのだ。

それら新しい日常は、至極普通の形で現れている。
試合を見にいく。応援をし、良いプレーには喝采を、悪いプレーには非難を与える。各国の試合を毎週テレビで何試合も見る。日本の代表を応援する。勝てば喜び、負ければ我が事のように悩み、討論する。休日には自分達でも試合を行い、公園では親子でボールを蹴りあう。
当たり前のこと、どうということのないことが、ごく普通に自然に行動に出る。Footballは日本に溶け込んだ。

6月が終わり、7月になって、マスコミは新たな言葉を生み出した。「ワールドカップ症候群」なる言葉。
ワールドカップを楽しみ、楽しみすぎた故に「今後これ以上の幸福は訪れないのかも」と悲観して鬱になる症状。意外なことに、積極的に祭りで騒いだ若者達ではなく、40代50代に多く発生したという。非日常を消化しきれなかったのか、単に日常が退屈すぎただけなのか。

今回の大会を通じて、祭りとは自分から積極的に参加して、内側で楽しむものである、と学んだ。おそらく2006年も祭りを求めてドイツまで行くであろう。異文化と6回も接したのだから、楽しみ方も学んだつもりだ。
そして、現在の肥大化したワールドカップを安全に開催できる国は、もはや数えるほどしかない。生きているうちに2回目の日本開催のワールドカップは実施されるのか、されたとしたら是非1回目との違いを感じ取りたいものである。

何、数十年ごとき短いものだ。欧州では、軽く100年の歴史がすでに経過しているのだから。日本にはまだまだ、学ぶべきことがたくさんあるのだ。

<完>

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